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寺田冷機

テラダイズム~完徹主義の精鋭たち~

~辿り着いた矜持~ 宮島利匡

仕事も遊びも本気で取り組む

 深夜。宮島利匡は自宅に設けたガレージにいる。仕事を終えて帰宅してから夢中でバイクをいじっている。いや、いじっているというよりも、エンジンを外して、そのすべての部品を丁寧に完全に分解して新たに組み替える、という大掛かりな作業を遂行している。宮島はバイク好きだが、バイク屋ではない。バイク好きでも普通そんなことはやらないし、やっても出来ない。エンジンは人間でいうところの心臓といっていい。例えは悪いが、医師免許のない人間が心臓手術をやっているようなものだ。しかし、宮島はバイクの心臓であるエンジンの分解を、複雑な部品で構成された細胞の謎解きを楽しむように嬉々として取り組んでいる。究極の謎解きは、仕事の現場で培われてきた経験による膨大な引き出しと、「絶対に出来る」という信念のもとに確実に進み、手品のように完成に向かっていく。宮島は純粋に難関を楽しんでいるのだ。さらに宮島の目標設定がその大掛かりな作業を加速させている。それは仲間と約束したツーリングの日程に合わせるため、というごくシンプルなのもだ。

 これらの趣味を超えてしまうような取り組みは、厳しい現場で絶対的な納期も決まっている案件に取り組む仕事人の宮島の姿に重なる。 「仕事も遊びも本気で取り組む」 さらりと言い切って宮島は愉しそうに笑った。

必然的に求められた場所へ導かれる

 宮島は木更津で生まれ育った。ひとつ年上の兄とは小中高と同じ学校で、さらにサッカー部でも一緒だった。兄は父が務める新日鉄に就職した。宮島も縁で新日鉄に就職できたはずだが、会社まで兄の後を追うことへの抵抗もあって、AGCエンジニアリング(旭硝子)に就職した。高校を卒業したら働くということを決めていただけで、とくに夢や目標などなかったが、宮島は導かれるようにある部署に辿りつく。

 当初、面接で説明を受けて見学したのはテレビのブラウン管の金型をつくる工場だったが、実際に配属されたのは圧力容器をつくる工場だった。圧力容器とは、石油精製設備の蒸留塔や原子炉など、工業地帯の外観でよく見ることのできる大きな塔やタンクのことである。当然ながら見学した部署とは規模がまったく違う。面接では、ここは危ないから入らなくていいと言われていた場所で、なぜ自分が配属されたのかは分からなかった。当初の話とは違うなと思いつつ、言われるままに宮島は圧力容器の溶接班として仕事に従事する。一枚の大きな鉄板を丸めて筒状にしたものを溶接し、両側に蓋をして、様々な箇所に適切な穴を空けたり切ったりする。厳しく要求された図面通りに正確に仕上げていく。十数人で行う大掛かりな作業で、すべて一点物。働く以前は工場の仕事は単純で退屈なのではないかという思いがあったが、毎回違う図面と向き合って突き詰めて仕上げていくこの仕事に宮島はのめり込んでいく。

「溶接は職人要素の強い仕事で上手い下手がもろに出るんです。この工場で一番上手い人がいても、その人より遥かに上手い人がいたりする。船やっている人はもっと凄い、とかね。溶接の花形は造船なんです。工場のように常に作業しやすい環境ではなく、船のかたちを保ったまま、どんな状態、体制でもやりきることが試されるからね」

  夢中で仕事に取り組んでいたある日、納品した圧力容器にクレームが出た。圧力容器はすでに現場に設営されていて、工場に戻すわけにはいかないのだという。宮島と宮島の上司が溶接修理対応することになり、現場へ向った。そこで宮島は初めて外の世界を知ることになる。

「あぁ、現場ではこんなふうになってるんだって。自分たちだけじゃなくて、他にもいろんな工事やってるんです。凄いなって。俺、こっちでやってみたいって思ったんです。」  

 宮島はAGCエンジニアリングを一年で退社する。勢いだけで何も考えていなかったというが、吸収したいという本能が強かったのだろう。宮嶋は新たな世界へ向かうことになる。  

 19歳の宮島は想いの強さだけで辞めたはいいが、厳しい現実を知ることになる。まず、鳶の現場の仕事に就こうと数件の会社に面接を受けたが、日給月給だったり、社会保険がないとか、雨が降れば現場は休みだったりと、どこか胡散臭さが歪めない。あらためてAGCエンジニアリングが大きな会社で福利厚生がしっかりしていたことが分かった。安定した会社を辞めたことを多少後悔しながらも、それでもなんとかならないものかと悶々としていたある日、現場のバイトを探している社長がいるということを知人から聞いた。宮島はフラフラしているより、とりあえず働らこうと考えていた頃だったので、その社長に会いにいく。仕事は鳶ではなく計装工事とよ呼ばれる仕事だった。計装工事とは大きく言えば電気工事の部類に入り、工場やビルなどに計器を取り付けて様々な場所で電気が使えるように網の目のように配線を引く仕事である。持っている資格を問われた宮島は溶接の資格がふたつあることを伝えると即答だった。

 「明日から来てくれ」

 社長の考えはこうだった。計装工事の仕事は高度な専門知識がいるが、逆に溶接の資格を持っている者はいない。現場で計器を装備して圧力配管を通して電装を引くのだが、配管と配管をつなぎ合わせるために溶接しなければならない。その溶接の作業は外注で他業者に依頼するのだが、当時の溶接の人件費は日当4万の高値だった。それを自社でまかなえれば、しかもまだ19歳の宮島に担ってもらえば会社の経費はかなり節約されて利益が上がることになる。社長が求めていた人材がまさに宮島だった。 バイトでなく社員として働いてくれないかと懇願された。

 「電気のことはまったく分からなかったけど、自分が持っている資格が活かせるのならやってみようと思ったんです」

 最初に就職したAGCエンジニアリングでは当初予定されていた部署でなく圧力容器の現場に導かれた。今回も宮島は縁なのか、運なのか、必然的に求められた場所に辿り着くことになる。  

厳しい現場の体験を己の血肉に変えて

 現場の仕事は常にそうだが電気工事もまた危険が伴う。なんらかの理由で配線の絶縁処理がなされていなかった場合、狭い天井裏の作業で感電して命を落とす事故もあるという。宮島自身もキャリアの中で感電を経験している。また、プラントなどの大きな工場で高所の足場から職人が墜落して亡くなったという現場に何度か遭遇したこともあった。ここでは命のやり取りが日常にある。

 宮島は無条件で純粋に楽しかったAGCエンジニアリングの1年とはまったくかけ離れた時間を過ごすことになる。不安と緊張の中で常に自分で考えて難題に挑み、厳しい現場の体験を己の血肉に変えて自己を成長させなければならなかった。宮島の電気工事士としての10年間は、仕事の楽しさなど感じる余裕もなく背負わされた責任を果たすことのみに集中していた。宮島がそこまで必死に仕事に挑んでいた大きな理由として、21歳という若さで結婚してすぐに息子と娘を授かったことにある。仲間たちと呑みに行ったり趣味に没頭したりと年相応の若者のように遊んでいる暇などない。自分の力で何としても家族を養っていかなければならなかった。この世界で一人前になるには、少なくとも5年はかかると言われている。しかし、社長には3年経ったらひとりで現場を仕切れるようになることを厳しく求められていた。分からないことだらけであっても、考えに考えて毎日を必死で取り組むしかない。忙殺されていく中で、あと2年、1年しかないと焦りが募る。

 3年が過ぎたとき、宮島はついに独りで現場に入る。今まで社長と一緒にやってきたように現場で対応すればいいと意気込んだ。しかし、現実はまったく思うようにならない。指示を受けて動くだけでなく、先を読んで考えて仕事に取り組んできたつもりだったが、完全に現場を自分が判断して仕切っていくということは、目線や思考がまったく違うことに気づかされた。俯瞰で物事を捉える力とタカチにするための数通りの方法を即座にイメージできる能力。それらを巧みに組み合わせて最良の選択をする。完全に現場を収めるには、自分の頭で答えを導き出して格闘しながらひとつひとつの経験を積んでいくしかない。

 当時まだ携帯電話がなかった時代。現場で行き詰まると分からないところや不安な箇所はすべて記録して、会社に戻って社長に相談する。指示を仰いだ上で修正箇所を見出し、どうにもならない時はそこだけ社長が対応して、再び宮島が現場を動かす。不安と緊張の連続の中、ほんの一瞬だけ安堵する。

 なんとか現場を収め始めた頃、給料が大きく上がった。四苦八苦しながらも頑張った正当な評価だった。社長と宮島、あと後輩が数人の小さな会社だったが、22歳の宮島は年収1000万円を目標にした。家族4人をしっかり養っていくこと。叶うかどうかは分からないが、大きな目標を持っていれば厳しい毎日を過ごしていけると思った。

「後にも先にも、こんなに辛かった時期はなかったんじゃないかな。もう、逃げ出したい、辞めてしまいたいって何度も何度も思いましたね。でも、そのおかげで今の自分があるんでしょうね」  

 宮島は5年経った頃にはすべてのことに対応できる自分を創り上げていた。図面を見ただけで何人の作業員が必要で、どのような道筋を立て取り組めば納期までに収まるのかを判断できるまでになっていた。案件の見積もりもできるように自ら打ち合わせにも出向いた。いずれ将来的に独立するためにも、学ぶべきことは現場以外でも積極的に取り組んでいく。

 成長を続ける宮島は会社の中心的な存在となっていた。難関な現場であっても宮島さえいれば問題は解決できた。だが、逆に言えば後輩が育たない限り宮嶋は辞めれないということでもある。

「実力がついたから、さぁ1000万目指して独立しようなんて思わなかった。育ててもらうのに5年はかけてもたらったんです。だから最低でもあと5年はこの会社にいようって。つまり10年ですよね。しっかりと恩を返さないとね」

 宮島の独立を期待してくれる業者もいた。社長も将来的には会社を宮島に譲るという意向を宮島に伝えていた。年収1000万という目標もあるが、お世話になった会社をいづれ引き継ぐのもいいかもしれない、と思った。職人として成長を遂げて働き盛りの宮島だったが、この頃、建設業界の単価が急激に下がりだし業界的に厳しい時代を迎える。当然宮嶋がいる会社も影響を受けて経営が徐々に傾き始める。給料の支払いが遅れ始めて未払いが続いた。だが、宮島は社長の恩義に応えるためにも、その代償を受け入れて必死で働いた。しかし、業界の景気は冷え込んだままで改善の兆しが見えない。今のタイミングで宮島が独立したとしても低単価になった建設業界では経営は厳しいのは目に見えていた。宮島は1年間なんとか踏みとどまったが限界だった。結果的に宮島が考えていた10年というキャリアを残して退社する。

パズルのピースを埋めていくように新たなキャリアが始まる

 「工事屋はもう辞めよう。けど、溶接や電気の知識や経験が生かせる場所はないだろうか?」

 あたらに仕事を探し始めた宮島は、ある製紙会社が目に止まった。トイレットペーパー生産工場の修理修繕の仕事を募集していた。募集要項に「電気主任技術者の資格があれば尚可」という一文がある。宮島が持っているのは第2種電気工事士で求められている資格ではなかったが、とにかく面接に出向いて返事を待った。面接を担当した常務から一週間後に連絡があり会社に来てくれという。

「正直に言いいますが、面接には10人きました。宮島さんよりいい条件の資格をもっている方々ばかりですが、すべて50代。ということは永くても10年しか働けない。宮島さんだけが30代で唯一若いんです。前任者は資格がないとダメだと言っていますが、私としては若い宮島さんにお願いしたい。なので、現場で前任者に会ってもらいたい」

宮島は前任者から工場で説明を受ける。様々な機械を前にしてあれこれと問われる。

「機械が壊れた場合、溶接で直すこともある。出来るか?」

「溶接の資格あります。出来ます」

「機械は電気で動いている。正確で複雑な動きを機械に与えるために制御盤がある。ここを理解していないと仕事にならないんだ。それは分かるか?」

 宮島が10年の歳月を費やして獲得した技術は電装、配線、人間で例えるなら神経といえばいいだろう。例えば工場の複雑な電装を網の目のように正確に張り巡らしていく仕事だ。ここでいう制御盤というのは個々の機械に正確な動きやリズムを指令する役割で、つまり人間で例えるなら脳だ。これまでの宮島は制御盤と機械を繋げる仕事だった。同じ電気でもまったく畑が異なる。職種が違うのだ。

「電気は永らく携わってきましたが、その分野はあまり得意ではないかもしれませんね」

 宮島は出来ないとは言わず、若干お茶を濁して答えた。それは、心の中に湧き上がるものを感じていたからだ。溶接は出来る。工場の機械の配線は全部出来る。ここで制御盤の仕組みを習得してみたい、という強い欲求が芽生えた。絶対この仕事に就きたい。実際は知らないに等しいが、巡ってきたチャンスを逃すわけにはいかない。宮島は少し膨らませて落ち着いた口調で答えた。

「ですが、触り程度なら分かりますよ」

 その後、宮島は前任者と絶妙な駆け引きを展開してこの仕事を獲得する。パズルのピースを埋めていくように宮嶋の新たなキャリアが始まった。

挑んだ夢と挫折

 毎日が必死だった。出来ると宣言してしまった以上、出来ませんでしたでは済まされない。一番大事な制御盤については分からないことばかりだが、その厳しさを楽しんでいる自分がいる。揺るぎない自信とでも言えばいいのか、これまで経験してきたことが多くの引き出しとなって、未知の領域に対してでさえも感覚的に咀嚼して自分のものへ昇華できる能力が身に付いていた。ひとつひとつ謎を解いていくように制御盤と向き合いながら理解していった。時には厳しい難題が降りかかるが、絶対に出来るという信念が答えを導いてくれる。宮島は僅か三ヶ月で制御盤の仕組みを理解した。たとえば芯を回転させながらトイレットペーパーをある一定の長さまで巻いていく動き、それを止める動きなど制御盤で指令されるが、何かが原因で機械が動かなくなることが発生する。機械は止まり、エラーを告知するだけだ。宮島は機会の図面を出して、ひとつひとつ消去法で詰めていくと、機会の動かない箇所が判明する。そこからその原因を追求していくと、制御盤の中にあるスイッチのコイルが切れている事実が分かる。そこを直せば、機械は生き物のように再び稼働し始める。すべてひとりで突き詰めていった。宮島は工場の制御盤から電装、溶接修理まで深く幅広い領域をこなす特異な仕事人として存在するようになる。

   仕事に熱中する宮島は、ふとしたときに工場から出る産廃に着目する。使用済みになったコピー用紙などを再生させてトイレットペーパーを生産している工場は産廃は発生する。産廃はトイレットペーパーになりきれなかったカスみたいなものだか紙には違いなかった。会社はその産廃に経費をかけて業者に出して処分する。また一方ではトイレットペーパーを生産するには紙を乾かす必要があり、それらは重油を使って蒸気を出して乾かしている。宮島は紙である産廃を燃やしてトイレットペーパーを乾かす燃料にすれば、大幅なコストダウンに繋がるのではないかと考えた。ゴミの処分費もなくなって、燃料費もなくなる。宮島は工場の仕事をしながら、リサイクル燃料のシステムの開発のために業者と打ち合わせをしながら様々な実験を試みた。一年間の試行錯誤の結果、そのリサイクル燃料の機会をつくることは可能で、制作費に一億円が必要ということだった。宮島は正確に計算してみた。工場の稼働率が70パーセントとしても、三年間で一億円は回収できる。四年目以降は毎年三千万から四千万の利益になる。絶対にいけると確信した宮島は会社に打診する。しかし、答えは会社の経営が厳しくで一億は出せないというものだった。厳しいのなら逆にチャンスではないか、という想いも伝わらず企画は頓挫してしまう。宮島はリサイクル機械の生産を依頼するはずだった会社の担当にひたすら謝った。

「本当に申し訳ない」

 宮島は男泣きに泣いたという。一年間一緒に並走してきたのに実現できなかったことがあまりに悔しく情けなかった。緊張の糸が切れた宮島は、この製紙会社におよそ三年間勤務して退社した。

すべては家族を守っていくために必死だっただけだった

 宮島自身が何業種をもこなす特殊な職人として存在するのみでなく、現場から生まれる発想やアイディアを実現するために奔走する行動力も持ち合わせていた。独創的な仕事人として存在していた宮島は、製紙会社以降、いつくかの企業が宮島の力を必要としていた。しかし、管理職という重要な役職と高い報酬を与えられても、宮島はこれでいいのか、という自問自答を繰り返す。生きている実感は得られず、もの足りなさが募る。

「人間のマネージメントじゃないってわかったんです。俺は機械のマメージメントがしたいって」  

 2008年7月。宮島は寺田冷機と出会う。寺田冷機はメーカーや外注に頼らず独自に自社で制御盤を製作していたが、さらに複雑な制御盤も自社で製作したいという考えがあり、宮島の高い技術を必要としていた。宮島自身もまた寺田冷機で新たな現場で様々な知識を吸収していく。

「まったく同じという現場がないんですよ。毎回違う。それはそれで結構大変なんだけど、自分で考えて、自分の手を使って、何かをカタチにしていくこと。自分には合っているんですよ。そういうことが好きなんでしょうね」

 宮島は東日本震災で大混乱した現場も経験した。震災後の仙台でひとり出張で活動した時期もある。多くの現場を過ごしながら宮嶋が寺田冷機で過ごした時間は11年を越えようとしている。

 電気工事士の11年間は常に追い詰められる毎日だった。四六時中、仕事のことしか頭になかった。それは休日の家庭の中にいたとしてもそうだった。家で図面を広げてはあれこれ考える宮島の姿は修羅が宿っているようだったのではないだろうか。ふたりの子どもたちはただ怖かったのであろう、そんな宮島には寄り付かなという。納期を間に合わせるにはどうすればいいか。より効率よくするためにはどうすればいいか。押し寄せる責任と向き合う日々の中、休日であれ闘っていた宮島だったが、それは家族には理解されず離婚を経験した。根本の原因は家庭を顧みなかった自分にあることを知った。しかし、すべては家族を守っていくために必死だっただけだった。  

これまで経験してこたことの集大成を寺田冷機で発揮できればいい

 製紙会社時代、宮島は仕事だけではダメなんだと思った。ひたすら仕事だけに没頭してきたが、かつてバイクが好きだったのを思い出した。多忙な日常の中にでも遊びのある生活を自然と始めるようになった。 深夜、宮島はガレージの作業を続ける。エンジンを分解に分解を続けて再び組み替える。そしてパズルのピースをはめていくようにバイクを自分の意思で見事に仕上げていく。多忙の中であってもツーリングに間に合わせるというささやかな楽しみのために。

 宮島自身はまったく意識していないが、これらの行為は潜在的に仕事で生きていく自分を研磨するためのようにも見える。バイクの分解や組み立てが難解な「仕事」とするなら、ツーリングの日は仕事でいうところの絶対的な「納期」だ。それらを本気で愉しむ。仕事も遊びもすべて本気で愉しめる自分を創る。

「遊びはみんな夢中でやるでしょ?楽しいから覚えるのもはやいよね。それと同じように仕事も取り組むんです。厳しい仕事の中にでも、楽しみを見つける。あぁ、こうなっているだ、とか、どんなに小さくても楽しみや驚きを発見をする。それを積み重ねていけば、成長するのもはやくなると思うよ」

 この言葉こそ、宮島が必死で仕事と向き合い続けて到達した境地なのかもしれない。若い頃に家庭を持ち趣味すらもたずにがむしゃらに働いてきたこと。挑み続けた代償として失った大切なもの。現在の宮島は再婚して日々をつつがなく暮らしている。ときに成人した子どもたちと過ごすこともあるという。

「これまで経験してこたことの集大成といえばいいのかな。それを寺田冷機で発揮できればいいよね」

 宮島はひとつひとつの体験を様々な視点からとらえて昇華させる。辛く厳しい体験であってもそれを無駄にするようなことはしない。諦めずに挑んできた結果が、類まれな能力を持った現在の宮島を創った。  

 そんな宮島に職人人生で得たものはあるかと訊いてみた。宮島はいそいそとエンジンを組んでいたが、手を止めてしばらく真剣に考えているようだった。

「ないかなぁ。だた、普通に生きているだけなんですけどねぇ」

 宮島は迷いなく言い切ると、何かを吹き飛ばすように高らかに笑った。

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